「真田丸」ロケ地情報!築城された出城はどこにあった?

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2016年のNKH大河ドラマの「真田丸」。

タイトルになっている「真田丸」というのは約400年前の大阪冬の陣で重要な役割を果たした出城なんです。

今回はその出城が大阪のどこにあったのかを探りたいと思います。

真田丸 ロケ地情報:真田丸ってなに?

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引用元:http://writerzlab.com/nhk-sanadamaru

2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」。戦国武将の中でも人気が高い人物です。

松本や大阪など国内の各地で活躍したこともあって近年の大河ドラマの中でも全国的にブームが巻き起こっています。視聴率も15~17%台を推移しておりトップ3争いもしているほどです。

主人公の真田信繁(幸村)役に堺雅人、兄の真田信幸に大泉洋、友好関係の上杉景勝に遠藤憲一など「NHK大河ドラマ」ならでは豪華俳優陣で固められています。

女優陣は茶々(淀君)役に竹内結子、真田信繁と苦難をともに過ごす、キーパーソンの「きり」に長澤まさみなどこちらも実力派揃いです。

さて、今回は真田丸のロケ地情報として大阪冬の陣の最重要ポイントである「真田丸がどこにあったのか?」を中心に紹介していきます。

「真田丸」公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

真田丸 ロケ地情報:真田丸はどこにあった?

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引用元:https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/1228/blnews_151228_3419662031.html

真田丸という出城(陣)は実は謎に包まれており、正確な場所というのはいまだにわかっていません。

最近まで有力な説は「真田山公園」、「三光神社」でした。しかし、最新の調査結果から最も有力とされているのが餌差町の「明星学園」を中心とするエリアとされています。

ここには「真田丸顕彰碑」が2016年2月に建てられました。

まだまだ諸説ある「真田丸」のあった場所、大河ドラマを観ながら是非、大阪冬の陣に思いを馳せてみてください。

真田丸 ロケ地情報:有力説 1 三光神社周辺

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引用元:http://tetsuwanco.exblog.jp/25231879/

真田の抜け穴がある三光神社、幸村の銅像もあり、ゆかりのある場所とされています。

三光神社の公式サイト上の絵図には真田丸が北エリア、三の丸の外側の空堀の外側にあったとされています。

境内に今もなお残されている地下道は大阪城から真田丸を経由してここまで通じていたとされています。

しかし、この三光神社がある一帯は「宰相山公園(さいしょうやまこうえん)」といって、周りよりも一段高い土地になっています。

当時、突貫工事で土を盛ったものがそのまま400年以上この地にあるのか…非常に気になる高さ、段差です。

このことからこの地が「真田丸」だったという説もうなずけます。

<グーグルマップ>

<三光神社 (さんこうじんじゃ)>
電話番号:06-6761-0372
参拝時間:9:30~16:00、年中無休
住所:大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-9
拝観料:無料
アクセス:地下鉄「玉造駅」から徒歩2分、JR「玉造駅」から徒歩5分
URL:http://www.sankoujinja.com/

真田丸 ロケ地情報:有力説 2 心眼寺周辺

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引用元:http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/yukimura/area_osakacastle/shingan_temple.html

もともとこの寺は1622年に真田信繁と真田大助を祀るための寺として白牟和尚により建立されました。

また、真田幸村が自分の鎧を掛けたとされる「鎧掛けの松」が1945年の空襲で焼失するまでありました。

こういったことから心眼寺自体がこの地を「真田丸」跡地としており、境内には石碑や六文銭の幟があります。

土地的にみると前述の「三光神社」と同じ宰相山公園の敷地にあり、心眼寺の横の道路からみると確かに「小高い丘」になっているのが読みとることができます。

心眼寺の山門横の石碑には「真田幸村出丸城跡」書かれており、出丸城=真田丸となります。

<グーグルマップ>

<心眼寺>

電話番号:06-6764-0630

住所:大阪府大阪市天王寺区餌差町2番22号

アクセス:地下鉄「玉造駅」から徒歩8分、JR「玉造駅」から徒歩12分

真田丸 ロケ地情報:有力説 3 真田山公園

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引用元:http://blog.livedoor.jp/sengokuaruko/archives/48412733.html

上記の有力説1と2は「宰相山公園」のエリアとなっていて大阪冬の陣か夏の陣に由来すると言われています。

宰相とは現代では首相や君主という意味で使われていますが、集団のリーダーという意味もあるため大名や藩主、軍勢のリーダーのことを指していたと思われます。

陣を張ったリーダーがいた山、出城を築いてそこにリーダーがいたということで宰相山という名前がついたのかもしれません。

しかし、この真田山公園はしっかりと「真田山」という名前がついており、特別感があります。

この「真田山」という地名は元禄年間(1688~1704年)に書かれた「大阪三郷町絵図」に前述の宰相山とともに真田山という記述がハッキリと書かれています。

しかもこの「大阪三郷町絵図」は大阪冬の陣から約80年後に書かれたとされていますから、史実やその時の地名が正確にかかれているとしていまだに有力な説とされています。

<グーグルマップ>

<真田山公園(管理事務所)>

電話番号:06-6761-1770

住所:大阪府大阪市天王寺区真田山町

アクセス:地下鉄「玉造駅」から徒歩8分、JR「玉造駅」から徒歩10分

公式サイト:http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000000360.html

真田丸 ロケ地情報:有力説 4 ついに特定?明星学園に真田丸跡の碑が!

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引用元:http://www.osaka-info.jp/jp/osaka-sanadamaru/articles/detail?id=4

NHKの人気番組「歴史秘話ヒストリア」の2016年1月6日放映では大河ドラマ真田丸の特集がありました。

この番組に中では真田丸がどこにあったかを諸説あるなかからさまざまな視点で検討し、レーザー測定も行ってついに導き出した場所が「明星学園」でした。

真田丸自体が大きな出城、大きな建物だったということで、「出城 真田丸」の中心がココということなんです。

NHKの番組の見解とはいえ、専門家や実測を行った結果ということもあり後日、「真田丸顕彰碑」が建立されその模様はニュースにもなったほどです。

その「真田丸顕彰碑」の除幕式には大阪城天守閣館長やこの明星学園がある天王寺区の区長も出席するセレモニーとなりました。

<グーグルマップ>

 

真田丸 ロケ地情報:守りの弱点があった場所から類推される場所

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引用元:http://www.sankoujinja.com/sanadamaru.html

大阪城の守りの欠点をカバーするために作られたこの出城のおかげで徳川の大軍の包囲をしのぎ、徳川軍の正面突破の戦略を変えさせたほどなんです。それについて少し詳しく説明します。

もともと真田幸村は徳川の大軍と同等に渡り合うために、大阪城を拠点に野に打って出る「野戦」を提案していました。ただし、この戦略は他の武将たちに猛反対されまた、幸村の引き連れてきた手勢が少ないということもあり発言が軽んじられたという説もあります。

野戦から結局、籠城という守りに転じた大阪城には大きな弱点がありました。その欠点を幸村は発見し、冬の陣が始まるまでの約1ヶ月という超短期間の突貫工事で出城を築いたのでした。

その唯一の欠点というのは「平野口」と呼ばれるところです。大きな敷地かつ高い塀と石垣で鉄壁の守りとされていた大阪城ですが、この場所が唯一の欠点だったのです。

平野口には堀はあるものの水が張られていない「空堀(からぼり)」、しかもそのまわりは平野(ひらの)と呼ばれるほど「ただのたいらな野原」が広がっているだけでした。

埋め尽くすほどの兵がいれば屈強な防衛拠点にはなりますが、この冬の陣の時の豊臣軍は浪人をあわせて10万人、しかも籠城作戦が決まっていますからこの場所は手薄になるのです。

徳川軍が20万とも25万とも言われていますからその数でこの平野口を重点的に攻められた時の「敗北」が真田幸村には見えていたのかもしれません。

結局、この平野口を真田の手勢5,000人の軍勢で徳川の2万5千人を相手に渡り合ったのはこの「真田丸」を築いたおかげだと言われています。

 

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